2011年8月29日月曜日

かえってきたシークエンス

正装をした人たち
いつもよりお供えもののチャナンが多い道端のプラ(お店やお家にある神棚的 役割)

そう。今日は新月なのだ。

一週間に一度の大掃除と お買いものなどの用事をすませ 
ゆったりとよい休日を過ごして 帰宅。

2カ月目が ちょうど今日になる。
カラダも食事をとってからも 時間が経過した、夜の時間だけど、
マットを敷き、練習を始めた。

始めて5分でじわじわと汗をかき始めた。

わたしの元に シークエンスが帰ってきた。

ちょっと大げさかもしれないけれど この表現がとってもふさわしい。
無理をして時間をつくるでもなく、がんばってやらなきゃのヨガでもなく
ほんとうにほんとうに シンプルに いろんなものを許しながら 
2カ月経った今日、カラダ中からどんどん出る汗を感じながら、
シッティングの途中まで 動いていた。

きちんとフィニッシングまでできたのは何カ月ぶりだろう。

最後に終わりのマントラの感謝の言葉をサンスクリット語で 唱えたら、
涙が目にあふれてきた。


真っ暗な自分のお部屋で 新月で、さらに夜のアシュタンガの練習だったけど、
とってもよかった。


こうやってマットを敷いたのは 片手で数えられるくらい。

実は2週間前に、同じように 日曜日の日が暮れた夜の時間に
汗をぽたぽたとたらしながら 練習をしてみた。

あんなに毎日していたアシュタンガヨガのシークエンスの記憶が
かくれんぼ してしまってから、
きっとそろそろかな?と思ったのが、2週間前の日曜の夜。

その時は、みんなが持っているのひできくん てぬぐいで復習をして
練習を始めた。(なぜなら、本当にシークエンスの順番の記憶が どこかにいってしまっていたから。)

大通りに住む私にはいくら 朝だと言っても、
バイクの走りだす音や 掃き掃除からスタートをするこちらの生活音がない時間帯は、
朝の5時くらい。
無理して練習をするくらいなら、と思い
お休みの日の日曜日(いまは日曜日なので)の夜にやってみることにした。
日曜日は平日に比べて、人通りもすくない。
必然的に騒音も少なく、話し声やお歌を歌う声などもない。(笑)

なかなか私にとって好都合。
あれやこれやとしたいことがある日中よりも、
気持ちが満たされたこのタイミングがいい。
そして、暗いお部屋がさらに心を静かにしてくれる。

さまざまなカラダの強張りを感じた時期から、こうやって
動けるようになったことに感謝して 感動してしまった。





自分の周りに張っていた 気(空気)を 緩めることができる時期がやってきた。
私の心はここにいて
私をとりままく空気のながれは 同じようにめぐっている。

そんな風になるために ヨガの練習をするんだ と教えてくれた大好きな先生。
そういう風になれれば、
どんな事がまわりで起きようとも、
どんな言葉が聞こえてこようとも
じぶんのガイドで、自分のチョイスをしていける。

周りのざわめきや 言葉 意見などに揺れないように
プラグをインするために
大地と繋がる 呼吸をして
足もとにある草花の土地のエネルギーから吸い上げて、
カラダのすべての細胞に届くように 吸い上げて 、そして同じ経路で吐き出して
バンダを意識するんだ。

頑固な強さ(自己主張) ではなく、静かな心で 適したものをチョイスできる 穏やかさ。

それでいいと思う。

ヨガをして 素敵な人たちに 会えたから。
普通に生活してたら よい言葉を発信し、よい心の持ち主に
こんなにもめぐり逢えていなかったから。


どんなに新しい環境や人との関わりになったとしても
ヨガにであった後の 自分は 強く穏やかでいられる日がくるのを知っている気がする。


これからも さまざまなことがあるけれど
いつも 心の口角を上げている にっこりな 朝であり
一日でありたいと
いつも思う。


新しい世界になれるのに まず90日。
ちいさな頃から 沢山の場所に移り住んできた私と母との あいことば。

胸や肩の開きを感じられるようになる日は これくらいかもね。

母上さま いまわたしは こんな感じだよ。
そしてみんな ありがとう。


今日も遊びにきてくださってありがとうございます♪Have a nice day!

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