2011年8月7日日曜日

国民性のあれこれ

ヨガの練習ができていないかわりに、今 自分を取り巻く流れの中で
いかに自分でいられるかを 日々プラクティスしている。

周りの人に「ヨガ出来てる?」と聞かれることが多い。
もちろんコミニュケーションのひとつとして聞いてくれているのだと思うけれど、
そんなに一度に沢山ものが手に入るだなんて思っていない私は
そのコメントにいつも疑問を感じつつ 答えるようにしている。
(とにかく 欲ばりなのは 世界中一緒なのかもしれない。)

焦らない、
手放す
いつかやってくる
呼吸をする
自分を知る

ヨガで学んでいたことは沢山あったから、今の時間を責めたり、いらだったりなんて
まったくしていないのに、周りにいる人はそうは思わないようで不思議に思っている部分があるみたい。




周りの声もスーっとながれていってしまうくらい
自分がフラットにいられるようになるのが、今の私のプラクティス。




久しぶりに環境が変わりエネルギーの違いに
カラダがダウンしているのだけど、
悪いこともため込まず、こうやって書き記すことですこし楽になっているのかもしれないな。

そのなかで、経過した時間で気がついた 国民性の違い。
もう笑いごととしてとらえるしかないわ~ と思えたので
ちょっとご紹介。

こちらの国民性は 謝りベタ?

じつは先日トラブルが起こり 大騒ぎになった。
(もちろん小さなトラブルがあったのは変わらないのだけど、
そのことが起きて私に変化がやってきた)

接しているローカルも日本人も ひとつの問題に対して全くだれも誤らなかったこと。
これは「ごめんね」とか「私が悪かったわ」「私が悪かったかも」という軽い挨拶程度のものも全くなかった。

私にとって敬いの気持ちを含めた あいさつは日常的で
日本人の美しい表現のひとつだと思っていた。(もちろん今も思っている だって日本人だもん♪)

ある日の出来事のまえに、「You don’t need say sorry」とアドバイスをくれたローカルがいた。

私のSorryはよろしくね。や お願いねも含む excuseの意味合い。
彼らにとっては 言いにくいキーワードのようだ。

私の環境は インドネシア語、バリ語、英語、日本語が飛び交うので、
私が多く使う言葉は英語になる。

よくよく耳をたてて聞いていると、
Maafマアフ(インドネシア語) =Sorryがまったく聞こえてこない。
これには本当に驚いた。

その代わりに、自分の非を認めず、あの時誰が、あのときあなたが、と攻め合うのだ。
…これはとっても悲しい。

そんな訳で、同じ環境で生活している日本人が
以前に私にそう言ってきた意味がよくわかった。

環境に馴染むかわりに よい気持ちを忘れてしまっているのだ。

お互いを誉めることや 敬うこと、
感謝することや 尊ぶことは 決してわすれてはいけないし、
環境のせいにしてはいけないものだと常々感じていたから。
よい気持ちでいること ハッピーな自分でいることを常に持っていたい。
そう思う気持ちはいつも忘れないでいたい。



私にとっていつもわたしらしくいられる為のプラクティスが今ここにある。
いつでも  私は私   と
変わらない為に、すこしづつ柔軟に変化して いければいいな。



そのほかに、耳が痛くなるほど、ご飯食べた?ボーイフレンドはいるの?
どこにすんでるの? も

彼らにとっては 私にとっての 元気?や ありがとう と同じくらいの言葉のようだ・・・。




今日も遊びにきてくださってありがとうございます♪Have a nice day!

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